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『快晴』8月11日, 2015年 日常をブログに書き出すと自惚れや誇大が生じるのであまり好ましくないと常々考えていましたので、しばらく日記の更新を中断したいと思います。自分語りか或いは著名人の話だけしか書けないなら、控えた方が良いかなと思い至った次第であります。 ◇◆◇ おみくじ ◇◆◇約1,800年前に創祀された神功皇后と由縁のある霊験あらたかな近所の神社に設置された無人販売のおみくじ(一枚200円)を数週間に一度の配分で引いたところ、立て続けに大吉のおみくじ4種類を引き当てました。箱に入っているおみくじ全部が大吉ではないかと訝しく思ったりもしましたが、確かめる術はないので猜疑心を捨て、ありがたく神託を畏み授かり仕ります。 ***
おみくじ第四十一番に書かれた和歌の意味合いは、「寂しさから偶然にも訪れた場所で、満開の桜を見れて心嬉しく思うに至った」という内容とのことです。 偶然そのタイミングで立ち寄ったからこそ出逢える景色もあるのでしょう。
✽.。.:*·゚ ✽.。.:*·゚ ✽ 一説によると神社の構造は母胎を模しているそうです。鎮守の杜は陰毛、鳥居は女性器、参道は産道、お宮(本殿)は子宮という具合になります。
子供の欲しがる物をあれこれ買い与えたり、願い事を叶えたくなるのが親心ですが、いくら欲しいとお願いされても、なんでもかんでも与えてはかえって本人の為にならない物事もあります。 私がもし親の立場であるなら、それを願う本人の成長を促すものや、周囲の為になるものだった場合は、喜んで与えたいと思うのかも知れません。 流石は八百万の神々。SNSを利用すれば世界中の日本語話者に向けて神託を一斉送信できることをしっかりと熟知しておられる! ⋆
『昔語ル猫ノ唄』1月5日, 2019年
唐突に過去を振り返りますと、作曲を開始したのは2000年(13歳)からですが、音楽素材ブログの『レオナル堂』を公開したのは2007年3月~2008年4月頃までの僅かな期間でした。
『島根観光』11月23日, 2018年
2018年4月21日 - 伏見稲荷大社
『広島観光』4月2日, 2017年
『福井観光』7月11日, 2016年
『姫路城』7月13日, 2015年
『奈良観光』6月1日, 2015年
2015年4月2日 - 井の蛙、天を仰ぐこと能わず
『生き残ったのは俺たちだけらしい』4月1日, 2015年
『神戸ハーバーランド』3月29日, 2015年
『財布こま』3月20日, 2015年
『汝、己の手を穢すべからず』3月18日, 2015年
『懇親会』12月28日, 2014年
以前のドラム担当だった上海からの留学生Y君はカプコンに就職したようです。
楽しい時間は経つのが早い。そんな愉快な一日となりました。 『レタスの収穫』12月22日, 2014年
『君と歩いた道』10月21日, 2014年
✽.。.:*·゚ ✽.。.:*·゚ ✽ 幾度となく飼い犬との意思疎通を試みたが、7割くらいは理解に及ばなかった。 犬は純粋無垢な心でどこまでも飼い主を信頼するから飼うのは荷が重い。 時々「俺はお前が思ってるほど善い奴じゃないんだよ」と言いたくなるが伝えようがない。 でも僕はお前の飼い主になれて嬉しかったよ。 僕は君の飼い主になれて幸せだったけど、君は幸せだったのだろうか。
今となって言えるのは「生まれて来てくれてありがとう」ということくらいだ。 もう二度と生き物を飼うことはないだろうけど、思い出をありがとうな! どうか安らかに。親愛なるカナ。
『記録に残らない記憶』10月17日, 2014年
■【世界を縛るゼルダの伝説】-時のオカリナ3D- 実況プレイ|YouTube
▽『ゼルダの伝説 時のオカリナ』あらすじハイラル王国に広がる深き森には“コキリ族”という子供のまま永遠に年を取らない代わりに、森から出ると死んでしまう種族が住んでいた。 主人公の“リンク”はコキリ族として育ったが、ある日に森の守護神デクの樹よりハイラルの危機と、これからハイラル城に向かい、そこでハイラルの運命を左右する神に選ばれし姫に出会うことを告げられる。 斯くして、時さえも越える冒険の旅は始まった。 幼馴染の少女“サリア”は、リンクを大切な友達と思う一方で、自分とリンクがどこか違っており、やがて別れの時がやってくることを察知していたようだ。 森の住民にさとられないように森を後にしようとしたリンクだったが、出口の手前にある吊り橋の上でサリアが待ち伏せていた。そこでリンクは声を掛けれ、オカリナを手渡された。 「オカリナを吹いて、思い出したら帰って来てね」 故郷を離れたリンクが初めて訪れたハイラル城下町で出会う少女の“マロン”は、ハイラル平原の中央に位置する牧場の一人娘だ。 父親と牧場を切り盛りしており、亡き母に代わって少々だらしがない父親を支えるしっかり者だが、いつか白馬に乗った王子様が迎えに来てくれると思っていたり、密かに夢見がちなところもある。 歌が大好きで、仔馬の“エポナ”を可愛がりながら、幼い頃に母から教わった唄をよく歌っている。 ■Zelda: Ocarina of Time Medley (Lon Lon Ranch, Market, Horse Race) | YouTube ***
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「君の友達ってどんな人? その友達は君のことを友達と思っているのかな」 「君の幸せってどんなこと? 君の幸せはみんなも幸せになるのかな」 「君の本当の顔はどんな顔? お面の下の顔が本当の顔なのかな」 「誰もいなくなったな、鬼ごっこ。そうだ鬼ごっこがいい。鬼は逃げるだけだ。いいな」 (『ゼルダの伝説 ムジュラの仮面』任天堂, 2000年) 『東京観光』2月4日, 2012年
「龍は一寸にして昇天の気あり」
――時は2012年2月4日。単身では初めて東京まで赴くことになりました。 まずは“東京駅”に降り立ち、毎朝欠かさず“皇居”を周回しているであろう走者に見守られながら、“日本橋”から頭上を仰ぎ見て実に機能的なことに感嘆の念を禁じ得ず、“六本木”の森美術館では外連味《けれんみ》のない“前衛的な芸術”を鑑賞して一生懸命に理解したふりをしつつも、“御茶ノ水”の楽器店でギターの試奏をして“親切な店員”に「アッシュ材は音の輪郭が明瞭で立ち上がりが早い」と懇切丁寧に教わり、“渋谷”では“忠犬ハチ公”のしっぽが思いのほか太いことに意表を突かれ、さり気なく“モヤイ像”の存在感が著しく欠如していることに落胆し、“新宿2丁目”では奇天烈な内装の“ライブハウス”で奇を衒った生演奏を拝聴した上で、“浅草園芸ホール”では絶滅を危惧される“江戸弁の落語”を直々に堪能できました。 “浅草”の大通りにある“蕎麦屋”で食した蕎麦が一杯1,000円もすることに驚愕しながら表に出ると、漫画『ドラゴンボールZ』に登場する“フリーザ”の恰好に扮した一団が大通りを颯爽と駆け抜けて行きましたが、“秋葉原”から徒歩で来たのでしょうか。大変ご苦労なことであります。 さらば大都市“東京”よ。願わくば、また会おう。 『一家団欒』8月17日, 2011年
私と同じく幼い頃から兄はあまり勉強もせず、放課後は数時間にわたり友達とスーファミRPGに興じておりました。しかし、筆者と大きく異なる点は、学校の授業と宿題だけで塾に通う児童よりも成績が良好で学年トップクラスの成績を維持し、習字を習う児童よりも達筆で習字の学校代表に選出され、高校の頃は情報処理のテストで100点を取り、計算技術大会で入賞を果たし、スポーツに興味がないはずなのにマラソンのアンカーに選出され、実家を出てからは県外の隣府にある理学部の大学を首席で卒業し、今も理系会社員として勤められています。 私が子供の頃は「兄が自分と同じ年齢だった頃、兄はもっと身体能力や学力があったはずだ」「自分が兄と同じ年齢になっても、どの分野も追いつくことは不可能だろう」と思い悩むことも多々ありました。 そんな小学生の頃に「実は自我があるのは自分だけで、他の人々は自我もない機械に過ぎず、自分は地球という舞台で一人芝居を続ける滑稽な道化に過ぎないのかもしれない」という話を冗談半分で兄に打ち明けたら「同じことを考えたことがある」と真剣に答えてくれたことがありました。
『須磨海水浴場』8月31日, 2011年
『静岡観光』2月26日, 2010年
『鳥取観光』9月14, 2008年
『SUMMER SONIC 08』8月10, 2008年『ワルツ(令和三年度における改正版)』
『終局特異点 A.D.2007』2007年10月17日。ケミカルシューズ関連業の面接日。 18歳から2年間務めた製本業を唐突に解雇され、転職を余儀なくされたのだった。解雇の理由は「取引先に『もう少し安く早く納品できへんのか』と足元を見られ始めたので注文を断ったから」とのこと。 そんな経緯を経て、面接のために事務室に入室すると、長い茶髪をアップに結んだ女性が着席していた。 ずいぶんと驚いた様子で女性はこちらを凝視していたが、すぐに席を外すよう促されて事務室から退室し、入れ替わりに僕の面接が始まった。 翌日に採用の連絡があった。
✽.。.:*·゚ ✽.。.:*·゚ ✽ ――2007年10月19日。小雨の降る緊張の初出勤の日。 延々と続く変わり映えのしない道を猪突猛進に歩き続け、勢いあまって会社の目前を通り過ぎ、咄嗟に踵を返したところ、今度は足を滑らせて転倒しかけてしまった。 この先、無事にやって行けるのか不安になりながら気を取り直して社内に入ったが、まだ誰も来ていないようだった。 不意に後ろから声を掛けられたので振り向くと一人の女性が立っていた。 軽く挨拶と自己紹介を終えると、いきなり好きな音楽は何かと訊ねられた。 どうやら彼女は、Thee Michelle Gun Elephant、Number Girl、Syrup16g、Bump Of Chicken等の下北系のロックバンドが好きらしく、すぐに意気投合したのだった。 そうして同じ持ち場の彼女から直々に仕事を教わることになった。 ちなみに会社の前で足を滑らせた情けない後ろ姿はしっかりと見られていたらしい。 ✽.。.:*·゚ ✽.。.:*·゚ ✽ 翌日、彼女に何かお勧めのCDを持って来るように頼まれたので、彼女の気に入りそうなCDを何枚か持ち出して聴かせたところ、フジファブリックの『茜色の夕日』を甚く気に入ったようで何度も繰り返し聴いていた。 後日そのCDは彼女に渡すことになった。 それから彼女に手取り足取り作業を教わる日々が続き、「繊細そうな手」「東京の人みたいで面白い」と辛辣なことを言われて困惑したが、さらには「彼女はいるの?」「どうして彼女を作らないの?」「女の子が嫌いなの?」と受け答えに困る冷酷な質問をされ、「音楽に専念したいから」と情けない言いわけをしてしまった。 同時に「貯金が貯まったら宅録環境を整えて曲を収録したい」と密かな夢まで語ってしまった。 まるで馬鹿みたいだ。 ✽.。.:*·゚ ✽.。.:*·゚ ✽ 「結婚して東京に引越す――」 ある日の昼休み、彼女からそう告げられた。 要約すると月末に寿退社する彼女と入れ替わりに僕は補填として会社に採用されたのだ。 その後はなぜか人生相談に乗ることになったが曖昧な答えしか返せなかった。 相談は人間関係や子供時分の思い出話にまで及んだ。 どうやら彼女は長い間、自分は変人なのだと思い込んでいたが、最近になって普通なのだと潔く覚ったらしい。 東京では友人を作った方がいいのか聞かれたが、「子供ができたらママ友ができる」とは流石にその時は言えなかった。 「どんな人が来るのかと思ってたけど、いい子でよかった」 なんだか褒めるにしても頼りないことを言われながら、意外と子供の頃の共通点が多くて驚いたが、横から割って入ってきた事務員に「結婚は結局のところお金」と断言されてしまったのだった。 ✽.。.:*·゚ ✽.。.:*·゚ ✽ 翌週に執り行われた「歓迎会兼送別会」と銘打たれて催された飲み会は、僕にとって歓迎会だったが、彼女にとっては送別会だった。 僕は地元の神戸で働き、彼女は東京に行き嫁ぐ道を選んだ。 彼女は結婚を修行のようなものだと思って頑張ると言ったが、僕にとっては就職して働くことが修行のようなものだった。 「もし私が三ヶ月後に離婚して神戸に帰って来たら、また一緒に働こうね」と冗談を言ってくれたが、たとえお互い違う道を歩んでも彼女が元気に過ごして居てくれたらそれだけで僕は一向に構わない。 「定年退職まで頑張ってね」 そんな約束を彼女と交わしたのだった。 ✽.。.:*·゚ ✽.。.:*·゚ ✽ 「この飲み屋にいる中で誰が一番好みや?」 ふいに上司から不躾な質問をされたので、真剣に周囲を見渡しながら悩んだ。 「このお姉さんが眩し過ぎて他の人は見えないよね?」 お座敷で僕と向かい合わせに座っていた彼女が、隣に座る"ふくよかなおばちゃん"を指さしながらとその場を上手く誤魔化してくれたのだった。 「お前は返事が遅いから指示を理解したのか分からへんのや」 「適当に『はい、はい』と答えてればいいと思う」 上司の小言に対して、彼女が貴重な助言をくれた。 話の流れで上司には11歳年下の妻が居ると発覚して、社員一同に「犯罪や!」と褒め称えらていた。 また、その上司の息子は毎週ポケモンを観ているらしく、その場でポッチャマの絵を描き上げたが、年甲斐もなく中々上手だったので少々驚いた次第だ。 当時はまだ飲酒をしたことがなかったので飲みやすい酒は何かと彼女に聞いたら「カクテルは飲みやすい」と薦められたので、とりあえず"カシスオレンジ"を注文することにした。 カクテルを持ってきた店員に戸惑いながら年齢確認された後、初めて飲んだカクテルの味はジュースと大差ないとしか言えなかった。 「私も飲んでいい?」 物思いに耽っている内に飲みかけのカシスオレンジは彼女に横取りされてしまった。 ブルーベリーソースの添えられたサイコロ状のチーズを黙々と食べる僕の様子を、母のごとく彼女は微笑ましそうに見つめていたが、事務員が執拗に乾杯を要求してくるので仕方なく注文した生ビールで乾杯に応じた。 「へえ、乾杯するんだ?」 彼女に軽蔑の目で一瞥されたが、めげずにビールを口に含んだ。 そうして思わず渋い顔をしてしまった。 「ビールは舌で転がすもんやなくて、のどごしを堪能するもんや!」 「彼はソムリエですから」 上司の助言に、すかさず彼女が合いの手を入れてくれたのだった。 それから酔いが回り、事務員と横になって休んでいたら、いきなり足裏マッサージで彼女に叩き起こされた。 「痛い?」 そう言いながら、彼女は少しご立腹の様子だった。 事務員がお座敷に連れて来た子供二人を見て、彼女は「かわいい!」と率直に嬉しそうな反応を示していた。 たぶん彼女の幸せは温かな家庭の中にあるのだとその時に直感した。 円満な家庭を築いたら、彼女はきっと幸せになれるだろう。 「俺は外人には優しいからな」 唐突に上司が語り始めた。 「俺は在日韓国人やけど見た目は日本人やから、韓国で韓国語を話すと周囲とびっくりされるんや!」 そんなどうでもいい話を語り出し、ついにはパキスタン人も雇ったことがあるという話題まで飛び出したので、なんだか己の所在地が判らなくなりながら話に聞き入っていたら、突然その上司に胸を揉みしだかれて身じろぎをした。 「嫌がってる……」 目前の彼女はぽつりと呟き、微笑ましそうにそのあるまじき光景を観察していた。 「なんでうちの会社の女はみんな胸がないんやろうか?」 それに乗じて無駄口の多い初老の同僚が本心からの愚痴をこぼし、女性達から顰蹙《ひんしゅく》を買っていたのだった。 上司の武勇伝が続くお座敷のテーブルの下で、彼女に無理やり靴下を脱がされたかと思うと、今度は僕の太ももの上に足を乗せてきた。 たぶん黒いストッキングを脱がしてほしいという意思表示だったのだろうけど、流石にそんな勇気は当時の僕にはなかった。 ✽.。.:*·゚ ✽.。.:*·゚ ✽ 案の定アルコールを摂取し過ぎた所為かトイレで盛大に吐いた直後、彼女が扉を開けて入って来た。 「大丈夫?」 心配そうに声を掛けてくれたが、もし僕が用を足していたら大変な事態になっていたような気がしないでもない。 とにかく自分は夢でも見ているのではないのかと思うほど幸せなひと時だった。 ⋆ 帰り道、彼女が手を繋いできた。 「今日は手が冷たいね。手が冷たい人は心が温かい」 恋人繋ぎのまま左手を引っ張られたので腕が少し痛んだが、彼女の左腕にあるリストカットの痕を思うとたいした痛みじゃなかった。 しばらく歩いているとタクシーの前で別れ際に抱擁する〝中年の男女〟がいた。それを真似るように彼女が抱きついてきた。 「私の部屋に来ますか?」 そう聞かれたので躊躇わずに一度だけ頷くと、彼女は満面の笑みを浮かべた。 生まれて初めて自分という忌み嫌われた存在のすべてを胸に抱きとめられて全肯定されたような心持ちになった。 どこか諦めて迷いながら選んだ道だったが、彼女と出逢ったことにより、死なずに生きる道を選んだことが間違いではなかったと素直に思えたし、生きる価値や意味を見出すことが出来た。 少なくとも僕にも人を愛する権利と心が僅かでもあることを知れたのだった。 そうして、これまでに起きたすべての出来事は彼女と出逢い、意思疎通してそこから人生の意義を学ぶためにあったのだと覚り、果てには自分はこの日のために生まれたのだと直感した。 同時に人と心を深く通わせるのはこれが最初で最後になるのだろうと予感した。 だから僕にとって彼女は最初で最後の最愛の人になるだろう。 喩え世界中に忌み嫌われ、その存在を無視して否定されようとも、彼女が僕という存在を抱きしめて全肯定してくれた過去は、僕の人生において最も大切な記憶に他ならない。 この先どんな困難が待ち受けていようと、僕の記憶には彼女と過ごした僅かで確かな日々が今も息吹いている。 それが一過性に過ぎない勘違いだろうが何だろうが、もう二度と困難を前に絶対屈しないと心の底から誓う次第だ。 繋いだ手はいつか必ず放さなければならない。 それでも彼女と伴に同じ道を歩いた記憶と温もりは決して失われはしない。 ✽.。.:*·゚ ✽.。.:*·゚ ✽ ✽.。.:*·゚MADE IN JAPAN.。.:*·゚ ✽ 2007年。神戸ケミカルシューズ関連業に就職。
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