【2018年迄のブログ】一寸先は旅【復刻版】

『快晴』8月11日, 2015年

 日常をブログに書き出すと自惚れや誇大が生じるのであまり好ましくないと常々考えていましたので、しばらく日記の更新を中断したいと思います。自分語りか或いは著名人の話だけしか書けないなら、控えた方が良いかなと思い至った次第であります。

 それが己と異なる意見でも、そのような考えもあるのだな程度にしか受け取れずに記載できた話も多々あります。
 いずれにしても見識が足りず、賛同や反対ではなく中庸であるとしか書きようがありません。
 とにもかくにも面白い話が書けないで誠に申し訳ありませんでした。


 皆様の大空が末永く快晴でありますように。

◇◆◇ おみくじ ◇◆◇

 約1,800年前に創祀された"神功皇后"と由緒のある霊験あらたかな近所の神社(祭神は藤原氏の氏神"タケミカヅチ")に設置された無人販売のおみくじ(一枚200円)を数週間に一度の配分で引いたところ、立て続けに大吉のおみくじ4種類を引き当てました。箱に入っているおみくじ全部が大吉ではないかと訝しく思ったりもしましたが、確かめる術はないので猜疑心を捨て、ありがたく神託を畏み授かり仕ります。

 大吉を立て続けに引き当てた心当たりと言えば、2017年頃に『寿限無』を暗記する感覚で『天津祝詞』を数日間かけて丸暗記した上で、参拝の際に暗唱し始めたことくらいでありましょうか。たとえ祝詞を唱えるのが下手だからと言っても、氏神の子孫とされる公家のそのまた子孫に当たる参拝者を片っ端から祟るほど八百万の神々も暇はあっても無慈悲ではないのでしょう。

***

▼第三番 『生』 《運勢大吉》
「生きるとは一人の作業である。どんな境遇にあろうとも揺るがない自分だけの生き方を見つけなさい。効率よくやろうと思わず己の心と真剣に向き合い、たった一度の人生を力強く生き抜きなさい」 


▼第四十七番 『道』 《運勢大吉》
「我が道を進みなさい。理想を忘れず必死に夢を追い求めなさい。道とは思い立ったその日から目の前に広がるありとあらゆる可能性のことである」 


▼第三十七番 『信』 《運勢大吉》
「人生をより良くしようと思うなら、どんなことがあろうとも約束を守ることだ。それがどんな些細な約束でも。信義を重んじることは、あなた自身の価値も上げる」 


▼第四十一番 《運勢大吉》
「さびしさに 何とはなくて来て見れば うれし桜の花ざかりかな」
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 おみくじ第四十一番に書かれた和歌の意味合いは、「寂しさから偶然にも訪れた場所で、満開の桜を見れて心嬉しく思うに至った」という内容とのことです。

 偶然そのタイミングで立ち寄ったからこそ出逢える景色もあるのでしょう。
 桜の花のように、いつかかならず散る運命だと理解した上でも、人生は決して無為ではないと私は確信しております。

 一説によると神社の構造は母胎を模しているそうです。鎮守の杜は陰毛、鳥居は女性器、参道は産道、お宮(本殿)は子宮という具合になります。
 そう聞くと、安産祈願で参拝しても別段問題ないように思いますが、「末代まで繁栄が続きますように」と神社参拝するのは道理に適っているとして、興味本位で私利私欲を願っても、ただの慇懃無礼に当たるのではないのかと考えられます。
 それでも初詣に足を運ぶ人は後を絶えません。日本神話は疎か、その神社の祭神さえ識らずに、こちらの要求を一方的に願うのは無学にも程があるのかもしれませんので、それならば私は大人しく家でお雑煮を食べながら自粛して居たい次第であります。

 子供の欲しがる物をあれこれ買い与えたり、願い事を叶えたくなるのが親心ですが、いくら欲しいとお願いされても、なんでもかんでも与えてはかえって本人の為にならない物事もあります。

 私がもし親の立場であるなら、それを願う本人の成長を促すものや、周囲の為になるものだった場合は、喜んで与えたいと思うのかも知れません。








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『昔語ル猫ノ唄』1月5日, 2019年


■2005年~2007年に勤めた会社の現状(2021年)

 唐突に過去を振り返りますと、作曲を開始したのは2000年(13歳)からですが、音楽素材ブログの『レオナル堂』を公開したのは2007年3月~2008年4月頃までの僅かな期間でした。
 その間に就職して仕事を優先するために閉鎖しましたが、今思えば残して置けば良かったと猛烈に後悔中であります。

 元々作曲を始めた中学生の頃はゲームのBGMを作りたいという目標がありましたが、筆者のゲーム離れも相まってうやむやになってしまいました。しかしながら音楽素材ブログを立ち上げたことで、BGMを提供したいという子供の頃の夢を叶えることが出来ました。利用していただいた皆様には感謝の念を禁じえません。本当にありがとうございました。

 ちなみに2000~2007年春(13~19歳)までに作成したmidiファイルを調整してアップロードするだけだったので連日のように新曲をアップロードしておりましたが、一曲を仕上げるのに大体一週間ほど掛かるので、決して制作は迅速な方ではありませんでした。

「音楽で人に良く思われたいとか、音楽を積極的に人に聴かせたいとは、もう考えが及んでおりませんが、音楽の楽しさを人生から除外したくありません」という内容の文面をネットで拝読して妙に納得した今日この頃です。

『島根観光』11月23日, 2018年


 今回こそは家族との最後の旅行になるだろうということで島根県まで赴きました。
 左の写真はスサノオが祭神の八重垣神社。右は国津神の代表格であるオオクニヌシ(恵比寿《エビス》の父神)が祭られる出雲大社の神楽殿です。
 神楽殿では神主による祝詞の奏上と、巫女による舞の奉納を拝見しました。

2018年4月21日 - 伏見稲荷大社



 本日は京都の伏見稲荷大社に足を運びました。天気予報では真夏日になるとのことだったので気温の上昇する正午前に帰宅しましたが、気が向いたら今度は稲荷山を登りたい所存です。

 写真でも分かる通り、本殿が朝日と反対の西向きなのが気になります。神社は陽光の当たる南か東向きに建てられるのが通常ですが、京都の神社ではなぜか伏見稲荷大社だけが西向きのようです。諸説ありますが、西向きは黄泉の国の方角にあたります。西向きの神社と言えば京都より遠く離れた出雲大社の本殿も西向きとのことです。見識が足りず両社ともに祭神が国津神という共通項しか見当たりませんが、真意のほどは如何なものでしょうか?

 出雲神話では根の堅州国(黄泉の国)は神々の故郷でもあるとされ、そこから穀物や富などあらゆるものが生じるとされます。つまり黄泉の国は出雲と極めて関係が深く、出雲神話の祖神スサノオがその郷里に帰りたいと発言したのは極めて自然と言えるそうです。伏見稲荷大社や出雲大社が西側を向いてるのもそれらに何かしらの影響を受けたのかも知れません。

 イザナギから生まれた三貴子の中でスサノオだけは異質の存在だったのもあり、古くから天皇家に対抗し得るほどの勢力を誇った出雲の王朝を支配下に治めるために動員されたと見ることができます。天皇家の正統を主張するために作られた『記紀』の神話では、地方豪族の中でも著しい勢力を誇った出雲一族の祖神の出自をイザナミの子ということにしました。高天原に馴染まないスサノオを追放した上で改めて出雲の祖神としたのです。

 結局のところ『記紀』では出雲も大和朝廷の手中に治められることになります。大和朝廷の正統性をいかに合理的に説明するのか、作者たちの苦心のほどがうかがえます。

 また出雲と兵庫は関わりがあり、瀬戸内海側でも『播磨国風土記』に、出雲王朝と関係する者たちが繰り返し登場するようです。摂津(兵庫側)だと西宮神社(大国主西神社)。淡路は松帆銅鐸が出雲と共通の鋳型を使っていること等々から推察するに、昔より何かしらの国交があったのだろうとのことです。


『広島観光』4月2日, 2017年



 年老いた親の付き添いで広島の厳島(宮島)まで赴きました。
 特に好きでもない旅行にわざわざ同行し始めたのは、老いた母との思い出を少しでも残しておきたいと考えてのことでしたが、母の膝関節の状態も芳しくないので当分の間は旅行も控えるでしょう。

『福井観光』7月11日, 2016年



■モンハンの鉱物を彷彿とさせる展示物


■身投げの名所“東尋坊”(とうじんぼう)


■“夫婦杉”(めおとすぎ)。これは別れたくても別れられないッ!

『姫路城』7月13日, 2015年


 筆者と東京の伯母夫婦、アメリカより来日中の従姉の子供らで世界文化遺産の姫路城に赴きました。
 従姉の子供たちとは10年ぶりの再会になります。
 光陰矢の如し、時の流れの早さを身に沁みて感じましたとさ。

『奈良観光』6月1日, 2015年


 うまい具合に一頭もこちらを向いてくれませんでした。

2015年4月2日 - 井の蛙、天を仰ぐこと能わず


 勤務先の調理場ではコックコートではなくエプロンを着用していますが、少し困った事態が往々にして発生します。
 それは食材の買い出しの際、ご婦人方にスーパーの店員と頻繁に間違えられることに他なりません。
 お目当ての商品がどこに置いてあるのかという問いかけに、毎度のように「店員ではありません」と返答しなければならないのは非常に面倒であります。
 なので、いっそのことスーパーのどこに何があるか把握して、懇切丁寧に教えたいと思う今日この頃です。

『生き残ったのは俺たちだけらしい』4月1日, 2015年


 過去は過ぎ去りもうない。未来は来たらずまだない。
 ならば精一杯、今この瞬間を生きるんだ。

『神戸ハーバーランド』3月29日, 2015年


 聳え立つ神戸ポートタワー。

『財布こま』3月20日, 2015年


 職場のチーフからの頂き物です。
 物事が上手く回るように願掛けされたものらしいのですが、実際にこれを財布に入れると穴が開くとのこと。
 あなおそろしや。

『汝、己の手を穢すべからず』3月18日, 2015年


『懇親会』12月28日, 2014年


 本日は以前にスタジオセッション仲間だったベースボーカルの青年(20代)と女性ドラマー(40代)の間で執り行われた懇親会に招かれました。

 以前ドラム担当だった上海からの留学生Y君はカプコンに就職したようです。

 趣味の範囲でR&B系のベース演奏を嗜む三菱重工の社員さんとセッションしたこともありましたが、Y君と一緒に演奏したら面白い化学反応があったのではと考えたりする次第です。

 楽しい時間は経つのが早い。
 そんな愉快な一日となりました。

『レタスの収穫』12月22日, 2014年



 職場に設置された水耕栽培器で育てたレタスの収穫を執り行いました。
 率直な感想を言うと業務スーパーで購入した方が早いと思うのですが、水耕栽培器を使用することで従業員が一丸となって小さな命を育てる優しい心が育まれたのではないでしょうか。

『君と歩いた道』10月21日, 2014年



 本日飼犬のカナが静かに息を引き取りました。
 晩年は癌との闘病生活になりましたが、痛みに耐えてよく頑張ってくれました。


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 幾度となく飼い犬との意思疎通を試みたが、7割くらいは理解に及ばなかった。

 犬は純粋無垢な心でどこまでも飼い主を信頼するから飼うのは荷が重い。

 時々「俺はお前が思ってるほど善い奴じゃないんだよ」と言いたくなるが伝えようがない。

 でも僕はお前の飼い主になれて嬉しかったよ。

 僕は君の飼い主になれて幸せだったけど、君は幸せだったのだろうか。
 少しでも君を幸せに出来たのならいいのだけど。

 今となって言えるのは「生まれて来てくれてありがとう」ということくらいだ。

 もう二度と生き物を飼うことはないだろうけど、思い出をありがとうな!

 どうか安らかに。親愛なるカナ。

『記録に残らない記憶』10月17日, 2014年


 どうぶつの森でフレンドと親睦を深めました。
 ちょっとしたハーレム状態に恐縮しきりの村長でしたとさ。

 私以外の3名の内、2名は姉妹で、当初は姉とフレンドになり遊んでいましたが、「妹もまぜてやってくれ」と頼まれて妹さんも参加。それも束の間、「ちょっと離席するからその間、妹を頼む!」と突然一任されて妹さんのお相手をさせていただくことになりました。
 他人の村で走り回って花を散らす天真爛漫な姉と比較して、しっかりとした礼儀正しい妹さんでありました。
 戻って来た姉に「どうだうちの妹は。いい子じゃろ?」と聞かれましたが、同意せざるを得ませんでした。


 楳図かずお氏を彷彿とさせるマリンスーツをいただきました。


 この直後に通信エラーが起きて昆虫採集のデータは飛んでしまいましたが、大切な思い出までは決して消えません。

【世界を縛るゼルダの伝説】-時のオカリナ3D- 実況プレイ|YouTube
 11歳の頃に週刊ファミ通を読んで知ったニンテンドー64『ゼルダの伝説 時のオカリナ』を衝動買いして大いにハマり、後にゲームキューブ移植版で追加されたハードモードを一切の攻略情報を参考にせず攻略しようとしましたが、後半の難所「闇の神殿」の一箇所だけ仕掛けの解除方法を発見できずにやむを得なくネットで攻略方法を確認したのが、今にしては悔やまれます。

▽『ゼルダの伝説 時のオカリナ』あらすじ

 ハイラル王国に広がる深き森には“コキリ族”という子供のまま永遠に年を取らない代わりに、森から出ると死んでしまう種族が住んでいた。

 主人公の“リンク”はコキリ族として育ったが、ある日に森の守護神デクの樹よりハイラルの危機と、これからハイラル城に向かい、そこでハイラルの運命を左右する神に選ばれし姫に出会うことを告げられる。

 斯くして、時さえも越える冒険の旅は始まった。

 幼馴染の少女“サリア”は、リンクを大切な友達と思う一方で、自分とリンクがどこか違っており、やがて別れの時がやってくることを察知していたようだ。

 森の住民にさとられないように森を後にしようとしたリンクだったが、出口の手前にある吊り橋の上でサリアが待ち伏せていた。そこでリンクは声を掛けれ、オカリナを手渡された。

「オカリナを吹いて、思い出したら帰って来てね」

 故郷を離れたリンクが初めて訪れたハイラル城下町で出会う少女の“マロン”は、ハイラル平原の中央に位置する牧場の一人娘だ。

 父親と牧場を切り盛りしており、亡き母に代わって少々だらしがない父親を支えるしっかり者だが、いつか白馬に乗った王子様が迎えに来てくれると思っていたり、密かに夢見がちなところもある。

 歌が大好きで、仔馬の“エポナ”を可愛がりながら、幼い頃に母から教わった唄をよく歌っている。

Zelda: Ocarina of Time Medley (Lon Lon Ranch, Market, Horse Race) | YouTube

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 幼馴染や救出した各国の姫君の心をわりと射止めるような気がしないでもないわりに、自分の功績を誰に告げて自慢するわけでもなく、颯爽と愛馬エポナに跨り駆け去る主人公のリンクは、僕にとって永遠の憧れであり、英雄であり続けるのでしょう。

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「正しいことってどんなこと? 正しいことをすると……みんな喜ぶのかな」

「君の友達ってどんな人? その友達は君のことを友達と思っているのかな」

「君の幸せってどんなこと? 君の幸せはみんなも幸せになるのかな」

「君の本当の顔はどんな顔? お面の下の顔が本当の顔なのかな」

「誰もいなくなったな、鬼ごっこ。そうだ鬼ごっこがいい。鬼は逃げるだけだ。いいな」

(『ゼルダの伝説 ムジュラの仮面』任天堂, 2000年)

『東京観光』2月4日, 2012年



 大都市東京に行くの巻。

「龍は一寸にして昇天の気あり」
 この諺は、龍の子供は僅か一寸ほどの大きさの時から天に昇ろうとする気概があることを言い表しています。

――時は2012年2月4日。単身では初めて東京まで赴くことになりました。

 まずは“東京駅”に降り立ち、毎朝欠かさず“皇居”を周回しているであろう走者に見守られながら、“日本橋”から頭上を仰ぎ見て実に機能的なことに感嘆の念を禁じ得ず、“六本木”の森美術館では外連味《けれんみ》のない“前衛的な芸術”を鑑賞して一生懸命に理解したふりをしつつも、“御茶ノ水”の楽器店でギターの試奏をして“親切な店員”に「アッシュ材は音の輪郭が明瞭で立ち上がりが早い」と懇切丁寧に教わり、“渋谷”では“忠犬ハチ公”のしっぽが思いのほか太いことに意表を突かれ、さり気なく“モヤイ像”の存在感が著しく欠如していることに落胆し、“新宿2丁目”では奇天烈な内装の“ライブハウス”で奇を衒った生演奏を拝聴した上で、“浅草園芸ホール”では絶滅を危惧される“江戸弁の落語”を直々に堪能できました。

 “浅草”の大通りにある“蕎麦屋”で食した蕎麦が一杯1,000円もすることに驚愕しながら表に出ると、漫画『ドラゴンボールZ』に登場する“フリーザ”の恰好に扮した一団が大通りを颯爽と駆け抜けて行きましたが、“秋葉原”から徒歩で来たのでしょうか。大変ご苦労なことであります。

 さらば大都市“東京”よ。
 願わくば、また会おう。

『一家団欒』8月17日, 2011年


 盆休みを利用して某府で会社員(SE)として勤める兄が実家に帰省しました。
 写真に写っているのは飼い犬のカナと兄の足の裏。

 ちなみにWikipediaによるとシステムエンジニアとは日本のIT業界における特殊な体制から生じた和製英語で、国際的にはソフトウェアエンジニア、ソフトウェア開発者、プログラマー、ハードウェア技術者などの表記が正しいとのことです。



『須磨海水浴場』8月31日, 2011年



『静岡観光』2月26日, 2010年




『鳥取観光』9月14, 2008年


 当写真は鳥取砂丘にて撮影されました。

 後日、同僚にお土産の「砂卵」を配ったところ、「一人で歩いて行ったんか?」と不審がられました。
 皆様も鳥取砂丘に行った際は「砂卵」を是非ともいかがでしょうか。

『SUMMER SONIC 08』8月10, 2008年

『ワルツ(令和三年度における改正版)』


 この曲は「ズッ友」はさておき、2009年12月24日(平成二十一年)に収録しました。
 スコットランドの伝統音楽を取り入れたポストロック調の曲に仕上がりました。
 動画で使用した絵はイラストレーター"sime"様(代表作『Fate/Grand Order』アナスタシア等)画です。
 もちろんのこと、メールでの個人的なやり取りにて使用許諾を得ております。


◇◇◇
 2010年2月上旬。謎の美少女"ttt5959"様に当楽曲を歌ってもらえました。
https://nico.ms/sm9620846

▼終局特異点 A.D.2007

 2007年9月上旬。二十歳の頃に2年間ほど務めた印刷製本業の仕事を唐突に解雇された。

 理由は「取引先に『もっと安く早く仕上げられへんのか』と足元を見られ始めたので注文を断ったから」とのこと。


 同年10月17日。神戸ハローワークの斡旋でケミカルシューズ製造業の面接を受けるために会社2階の事務室に入室した。

 椅子には茶髪の長い髪をポニーテールに結った女性が着席しており、ずいぶんと驚いた様子でこちらを凝視していたが、面接官に席を外すように促されて事務室を退室し、そうしてすぐに僕の面接が開始した。

 後日、入室時に着席していた女性は事務員として、僕は作業員として同期入社する運びとなった。


――2007年10月19日。小雨の降る緊張の初出勤の日。

 延々と続く変わり映えのしない道を猪突猛進に歩き続け、勢いあまって会社の目前を通り過ぎ、咄嗟に踵を返したところ、今度は足を滑らせて転倒しかけてしまった。

 この先、無事にやって行けるのか不安になりながら気を取り直して社内に入ったが、まだ誰も来ていないようだった。


 不意に後ろから声を掛けられたので振り向くと一人の女性が立っていた。

 軽く挨拶と自己紹介を終えると、いきなり好きな音楽は何かと訊ねられた。

 どうやら彼女が好む音楽はThee Michelle Gun Elephant、Number Girl、Syrup16g、Bump Of Chicken等の下北系のロックバンドらしくすぐに意気投合した。

 そうして同じ持ち場の彼女から直々に仕事を教わることになった。

 ちなみに会社の前で足を滑らせた情けない後ろ姿はしっかりと見られていたらしい。

 翌日、彼女に何かお勧めのCDを持って来るように頼まれたので、彼女の気に入りそうなCDを何枚か持ち出して聴かせたところ、フジファブリックの『茜色の夕日』を甚く気に入ったようで何度も繰り返し聴いていた。

 後日そのCDは彼女に渡すことになった。

 一方の彼女の方は、隣でNumber Girlの『真昼間ガール(田淵ひさ子ver.)』をCDラジカセで聴いていたので少々気恥ずかしかった次第だ。

 それから彼女に手取り足取り作業を教わる日々が続き、「繊細そうな手」「東京の人みたいで面白い」と辛辣なことを言われて困惑したが、さらには「彼女はいるの?」「どうして彼女を作らないの?」「女の子が嫌いなの?」と受け答えに困る冷酷な質問をされ、「音楽に専念したいから」と情けない言いわけをしてしまった。

 同時に「貯金が貯まったら宅録環境を整えて曲を収録したい」と密かな夢まで語ってしまった。

 まるで馬鹿みたいだ。



──ある日の昼休み、東京まで行って結婚することを彼女に告げられた。

 要約すると月末に寿退社する彼女と入れ替わりに補填として僕は会社に採用されたのだ。

 その後はなぜか人生相談に乗ることになったが上の空で曖昧な答えしか返せなかった。

 相談は人間関係や子供時分の思い出話にまで及んだ。

 どうやら彼女は長い間、自分は変人なのだと思い込んでいたが、最近になって普通なのだと潔く覚ったらしい。

 東京では友人を作った方がいいのか聞かれたが、「子供ができたらママ友ができる」とは流石にその時は言えなかった。

「どんな人が来るのかと思ってたけど、いい子でよかった」

 なんだか褒めるにしても頼りないことを言われながら、意外と子供の頃の共通点が多くて驚いたが、横から割って入ってきた事務員に「結婚は結局のところお金」と断言されてしまったのだった。

 翌週に執り行われた「歓迎会兼送別会」と銘打たれて催された飲み会は、僕にとって歓迎会だったが、彼女にとっては送別会だった。

 僕は地元の神戸で働き、彼女は東京に行き嫁ぐ道を選んだ。

 彼女は結婚を修行のようなものだと思って頑張ると言ったが、僕にとっては就職して働くことが修行のようなものだった。

「もし私が三ヶ月後に離婚して神戸に帰って来たら、また一緒に働こうね」と冗談を言ってくれたが、たとえお互い違う道を歩んでも彼女が元気に過ごして居てくれたらそれだけで僕は一向に構わない。

「定年退職まで頑張ってね」

 そんな約束を彼女と交わしたのだった。

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「この飲み屋にいる中で誰が一番好みや?」

 ふいに上司から不躾な質問をされたので、真剣に周囲を見渡しながら悩んだ。

「このお姉さんが眩し過ぎて他の人は見えないよね?」

 お座敷で僕と向かい合わせに座っていた彼女が、隣に座るふくよかなおばちゃんを指さしながらとその場を上手く誤魔化してくれたのだった。

「お前は返事が遅いから指示を理解したのか分からへんのや」

「適当に『はい、はい』と答えてればいいと思う」

 上司の小言に対して、彼女が貴重な助言をくれた。

 話の流れで上司には11歳年下の妻が居ると発覚して、社員一同に「犯罪や!」と褒め称えらていた。

 また、その上司の息子は毎週ポケモンを観ているらしく、その場でポッチャマの絵を描き上げたが、年甲斐もなく中々上手だったので少々驚いた次第だ。

 当時はまだ飲酒をしたことがなかったので飲みやすい酒は何かと彼女に聞いたら「カクテルは飲みやすいよ」と薦められたので、とりあえず"カシスオレンジ"を注文することにした。

 カクテルを持ってきた店員に戸惑いながら年齢確認された後、初めて飲んだカクテルの味はジュースと大差ないとしか言えなかった。

「私も飲んでいい?」

 物思いに耽っている内に飲みかけのカシスオレンジは彼女に横取りされてしまった。

 ブルーベリーソースの添えられたサイコロ状のチーズを黙々と食べる僕の様子を、母のごとく彼女は微笑ましそうに見つめていたが、事務員が執拗に乾杯を要求してくるので仕方なく注文した生ビールで乾杯に応じた。

「へえ、乾杯するんだ?」

 彼女に軽蔑の目で一瞥されたが、めげずにビールを口に含んだ。

 そうして思わず渋い顔をしてしまった。

「ビールは舌で転がすもんやなくて、のどごしを堪能するもんや!」

「彼はソムリエですから」

 上司の助言に、すかさず彼女が合いの手を入れてくれたのだった。

 それから酔いが回り、事務員と横になって休んでいたら、いきなり足裏マッサージで彼女に叩き起こされた。

「痛い?」

 そう言いながら、彼女は少しご立腹の様子だった。


 事務員がお座敷に連れて来た子供二人を見て、彼女は「かわいい!」と率直に嬉しそうな反応を示していた。

 たぶん彼女の幸せは温かな家庭の中にあるのだと直感した。

 円満な家庭を築いたら、彼女はきっと幸せになれるだろう。


「俺は外国人には優しいからな」

 唐突に上司が語り始めた。

「俺は在日韓国人やけど見た目は日本人やから、韓国で韓国語を話すと周囲とびっくりされるんや!」

 そんなどうでもいい話を語り出し、ついにはパキスタン人も雇ったことがあるという話題まで飛び出したので、なんだか己の所在地が判らなくなりながら話に聞き入っていたら、突然その上司に胸を揉みしだかれて身じろぎをした。

「嫌がってる……」

 目前の彼女はぽつりとと呟き、微笑ましそうにそのあるまじき光景を観察していた。

「なんでうちの会社の女はみんな胸がないんやろうか?」

 それに乗じて無駄口の多い初老の同僚が本心からの愚痴をこぼし、女性達から顰蹙《ひんしゅく》を買っていたのだった。

 上司の武勇伝が続くお座敷のテーブルの下で、彼女に無理やり靴下を脱がされたかと思うと、今度は僕の太ももの上に足を乗せてきた。

 たぶん黒いストッキングを脱がしてほしいという意思表示だったのだろうけど、流石にそんな勇気は当時の僕にはなかった。

 案の定アルコールを摂取し過ぎてトイレで盛大に吐いてしまった直後、彼女が扉を開けて入って来た。

「大丈夫?」

 心配そうに声を掛けてくれたが、もし僕が用を足していたら大変な事態になっていたような気がしないでもない。

 とにかく自分は夢でも見ているのではないのかと思うほど幸せなひと時だった。








✽.。.:*·゚ ✽.。.:*·゚ ✽

 帰り道、彼女の方から手を繋いできた。

「今日は手が冷たいね。手が冷たい人は心が温かい」

 恋人繋ぎのまま手を引っ張られたので腕が少し痛んだが、彼女の左腕にあるリストカットの痕を思うとたいした痛みじゃなかった。


 しばらく歩いているとタクシーの前で別れ際に抱擁する〝中年の男女〟が居て、それを真似るような形で彼女に抱きつかれた。

「私の部屋に来ますか?」

 そう聞かれたので躊躇わずに一度だけ頷くと、彼女は満面の笑みを浮かべた。


 生まれて初めて自分という忌み嫌われた存在のすべてを胸に抱きとめられて全肯定されたような心持ちになった。

 どこか諦めて迷いながら選んだ道だったが、彼女と出逢ったことにより、死なずに生きる道を選んだことが間違いではなかったと素直に思えたし、生きる価値や意味を見出すことが出来た。

 少なくとも僕にも人を愛する権利と心が僅かでもあることを知れたのだった。

 そうして、これまでに起きたすべての出来事は彼女と出逢い、意思疎通してそこから人生の意義を学ぶためにあったのだと覚り、果てには自分はこの日のために生まれたのだと直感した。

 同時に人と心を深く通わせるのはこれが最初で最後になるのだろうと予感した。

 だから僕にとって彼女は最初で最後の最愛の人になるだろう。

 喩え世界中に忌み嫌われ、その存在を無視して否定されようとも、彼女が僕という存在を抱きしめて全肯定してくれた過去は、僕の人生において最も大切な記憶に他ならない。

 この先どんな困難が待ち受けていようと、僕の記憶には彼女と過ごした僅かで確かな日々が今も息吹いている。

 それが一過性に過ぎない勘違いだろうが何だろうが、もう二度と困難を前に絶対屈しないと心の底から誓う次第だ。


 繋いだ手はいつか必ず放さなければならない。

 それでも彼女と伴に同じ道を歩いた記憶と温もりは決して失われはしない。


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 ネット上で数多の人脈を築くよりも、一人との出逢いが僕の価値観を大きく変えてくれた。

 ここまで導いてくれたインターネットの存在には感謝の念を隠しきれないが今はそれに縋る必要もない。

 僕はもう十代の頃ほど弱くないから、これからは君が居なくても一人で歩いて行けるだろう。

――2007年晩秋。

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✽.。.:*·゚MADE IN JAPAN.。.:*·゚ ✽


■2007年10月中旬。神戸ケミカルシューズ関連業に就職
 当時製作に携わった商品は神戸ハーバーランド「モザイク」の婦人靴屋にて販売されました。